長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所

ブログ BLOG

Sep 26, 2022

八ヶ岳高原音楽堂とランドスケープ

八ヶ岳音楽堂は1988年リヒテルと武満徹を音楽アドバイザーに建築家 吉村順三により誕生
使いながら後世に残す意図で23日開催された
討論会とギタリスト壮村 清志さんのギター演奏を体感しました。
登壇者のひとり手嶋 保さんは作品の通りの素朴な方で
また共栄木材さんでお会いできるのを楽しみにしております。
初めの頃より今の方がギターの響き方が良くなったとのお話しで
木の特質室内環境に順応しながら少しずつ各所に隙間ができていくこと
各部材の勾配そしてその取り合いの緻密な収まりや木の使い方
行く都度新しい発見があります。


その主旨のように音楽堂も大切に使われていますが
あちこちにメンテナンスが必要になり
「コンサート」は大切な収入源のひとつです。
今まで3回ほどコンサートで
そのドラマチックな会場と時の移り変わりを楽しみました。

たためる椅子再生プロジェクト
音楽堂の当初からの250脚の内、壊れてしまった椅子を再生

限定販売に当選し翌日お迎えに行きました!
・収益は自然郷の森の再生プロジェクトとして記念植樹に充当されるとのことです。

思いがけず二度音楽堂を楽しみ
そしてメンテの必要な部分などお話しを聞きながら
これからもコンサートに参加することで貢献出来たらと思います。

Aug 18, 2022

谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館


寺町からのファサード

金沢中心部は浅野川と犀川のふたつの川と三つの丘陵地が特徴で
そのひとつ寺町と犀川の間の丘陵地に建つ建築館
建築家 谷口吉郎の生家の土地に建つ建築と都市のための小さなミュージアム

藩政期建築、近代建築、現代建築まで金沢は「建築の町」と自伝に記されているように
奥深いそして美しい場所でした。

建築は
丘陵地に階段と通路を設け犀川へ
この通りを繋いだこと
閉ざされていた場所に風景を繋ぐこと

かつて犀川添いに住み寺町との間の隔壁の様な丘陵地を自転車で行ったり来たりした自分にとって
まず物語と映像を描く建築の在り方
そしてこの場所性が建築に寄って開かれて行く意味を感じることができました。

暮らしたのは1993年~1997年(イタリア留学を挟み)1999年~2002年
金沢城跡地から金沢大学が移転し橋爪橋と橋爪門など五十間長屋と整備がはじめられた頃

特にイタリアから帰った3年間は犀川を眺められる
犀星通りのハイツに暮らし
犀川の流れを楽しみ慈しむ芸術と座禅と建築にのめり込み図書館に通う
抒情詩を描く様な暮らしでした。

生まれ育った奈良井川の音と
犀川の傍に暮らす日常を重ねて
朝目覚めた時には全てが初めから生きることを
許されたかのように錯覚してしまうほど。

生きることや日々の暮らしや仕事の悩みに翻弄され
この場所性、豊かさや建築に充分に浸るまで金沢を知ることもせず
ひたすら本と妄想の中で若き悩みを抱いて。

それでも
今回の訪問で近くにあった優れた建築と文化が
間違いなく自分の一部であると感じとれました。

Jun 20, 2022

脇田邸(軽井沢)2008年

建築家 吉村 順三設計の軽井沢 脇田邸
建築当時周辺は森であったが、市街化が進み現在は賑わいのある3階を超える建物に囲まれるように建つ
その中には境界を守るかのような庭があり
建築は1階は大きなピロティで構成され2階が居住スペース
豊かな活動領域が人々の交流を促すようだ。

内部で構成された家具と使い勝手の良いキッチン
そして開口のディティール
最良の場所をいつも教えてくれる。

Nov 05, 2021

秋の休日

 

 

 

上林温泉に一泊して素晴らしい温泉と紅葉を楽しみ翌日は山ノ内町のSORAテラスへ

標高2700mの世界は雲海の中 一瞬で雲が流され地上が現れる

自然界の変化を楽しんで来ました。

その後は白馬村経由で帰宅

白馬村でも色々とみて感じて学生時代スキー場に足しげく通っていた時代

上達したくてスキー場でアルバイトをして板を担いで朝早く滑りに行った頃

少しだけ以前の静かな風景が懐かしい。

景観条例とは何だろうかという思い。

 

Jul 12, 2021

小暑 次候 蓮初めて咲く

2015.6.23

花の咲くようなラウンジチェア

ホテルオークラ建替え直前に居てもたってもいられず

意を決して訪れた時の写真です。

開業は1962年

何といっても建築家 谷口吉郎の手がけた和洋が調和するロビーは素晴らしく

新しいThe Okura Tokyoに建て替えられた際も

照明「オークラ・ランターン」はじめ麻の葉文の窓枠やラウンジチェアも含め

建築家 谷口吉生がチームに加わり可能な限りオリジナルを踏襲したと聞きます。

私たちはまだ訪れたことがないので

コロナ終息後に東京へ行く日を楽しみにしています!

 

 

外観の三ツ矢式建築は当時外務省勤務だった方の設計案を採用されていました。
当時の高さ制限に添って表は6階 裏は10階

高層階もなく見上げにすべて見ることができるスケールは時代のゆとりを感じます。

2015.6.23撮影

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