長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所

ブログ BLOG

Apr 12, 2020

敵との闘い













スオメンリンナ
フィンランドヘルシンキからフェリーで15分ほど
ロシアに対する守りを固めるための要塞。

1809年にロシアに占領され1917年ロシア革命でフィンランドは漸く独立を果たし
その役割を終えた。

今も残る大砲などの武器も
長い城壁も
今となっては起伏の残る良い散歩コースとなっています。

人は色々な闘いを強いられて来ましたが
今回の敵は人類共通の敵で少なくても皆が同志です!

スキレットを買ったのでパンケーキを焼いたり((笑)パン焼きに失敗したり(笑)
己を振り返り赤面したり??しています。

早く自由に感動できる場所に行けますように!
Stay Home Stay alive!


Sep 13, 2019

アアルトのアトリエ



大学からはヘルシンキオリンピックに使われた木構造の体育館を見て
タクシーで移動

広い敷地を持つ豊かな住宅街で途中から歩いてアアルトのアトリエへ
ヘルシンキムンッキニエミ 手狭になった自宅近くに1954年~1955年にかけ建築された。
岩盤がむき出しになった急斜面に
そのままの地盤を生かし内部も高低差により変化している。

帆を張った様な形
通りに対して閉鎖し内部に向かって開く
ここでも円形劇場の様な形態の中庭がある。






生きているかのようなアトリエ




今も魂が宿る
アトリエ
アアルト存命中の1964年頃には増築その後食堂が一階に改装もされた。
また2002年から2004年まで修復が
今も外部の一部に足場がかかりメンテナンス工事が行われていました。
現在も財団のOFFICEとして使われています。
建築当初の材料や構造を破壊することなく施され
家具様々な配置にもアアルトの意図を感じられるような空間の中で
アアルトの意図や才能、考え方をそして偉大さを直接感じとることができ
本当に震えてしまいました。
美術館とも記念館とも違い
建築当時のアアルトの意図通り維持され使われている
まだ現役で生きているかのようです。

Sep 12, 2019

アアルト大学講堂

アアルト夫妻が新婚旅行で訪ねたイタリア旅行で影響を受けたとされる
円形劇場コロッセオ

アアルト大学講堂は劇場の様なかたち

外観から内部は想像が難しい





大学の全体模型



素材の多様性





階段を一歩踏み出す毎に
形態の変化
景色の変化
素材の使い方が全てに
きょろきょろ凝視してしまいなかなか進まない

同じ場所に降りる3カ所の階段も
雁行させ
面白い。

混雑も避けられ機能的でもあるようです。





ステージから放射状に構造リブが広がっている。

光がまんべんなく入り
カーテンも照明もフレームに隠されていた。
小柄なAALTOによるためか家具は総じて低く私にはちょうど良かった。
全ての場所から公平に中央のステージが眺められつけられた角度に寄って
視線がその先へと集中できるように感じられる。
大空間が照明を付けることなく適度な光に満たされ祈りを捧げる教会の中にいるような
神聖さを感じた。
AALTOの心血を注いだデティールが違う次元へと空間を変えた。

Sep 10, 2019

アアルト大学

到着して二日目はヘルシンキのアアルト建築ツアーを申し込んでいました。
といっても二人だけそしてmysuomiさんから日本人のガイドさんが付いてくれました。
これが大正解で
自分達だけでは入る事を躊躇してしまうアアルト大学の教室内部を見ることが出来たり、アアルトのアトリエと自邸では
大勢の見学者の様に時間を刻まれる事もなく別行動
私達だけで逆コースを回り空間を体感し
アトリエの食堂でゆっくり椅子に座ってブランチを食べることが出来ました!

ホテルからヘルシンキ中央駅まで徒歩






































通称アアルト駅を出ると直ぐにアアルト大学(旧ヘルシンキ工科大学)が見えてきます。

夏休みが終わり新しいセメスターの準備をしている学生がちらほらいました。





































圧倒された図書館
エントランスから柱の装飾
天井の高低差や照明
空間を広く人の動線を考えた書架の配置
アアルトらしい曲線カウンター




















何といっても光の取り入れ方に感動しました。
ハイサイドライトからの自然光は
人が読書をする作業をする図書を探すといった機能に合わせ
視界を遮らず手元に届くように反射光も含め考えられていて居心地が良すぎる場所です。

またふと疲れたら見上がれば少し高い位置に緑を取り込むピクチャーウィンドウが
配置されて鮮やかさに満たされる。  




















Sep 09, 2019

白夜



朝の3時30分に自宅まで迎えに来てもらい乗り合いタクシーで
ご近所の方を拾って4名で成田空港へ
8時には到着しゆっくりとラウンジで過ごし焼き魚定食を食べ飛行機へ搭乗。

直行便FINエアーは約9時間でヘルシンキ空港へ到着しました。
空港からホテルまでは車で30分、見る物すべてが新鮮で信号が少ない!                                            大通りや国道も緑に覆われゆったりとした街路に驚く!
しかし本当に近いヨーロッパでした。

20年ほど前、最後にフィレンツェへ行った時には住んでいた金沢から前の日まで仕事それから24時間かかって辿り着き、疲れ果て
3日間眠りっぱなし・・当時の友人に呆れられたものです。
あの時は人生最大の覚悟をしてイタリアへ戻ったのでした。

久しぶりの海外です!日本時間だと24時を過ぎているのに関わらず心も足取りも軽く
到着後すぐにウキウキと夜の街歩きをはじめました。
ロシアによる統治時代があり
ペストの流行や火災,戦いなどヨーロッパは階層社会貧富の差が
激しく生きるだけで必死だった時代
ヘルシンキの建築は比較的新しく市街地が形成されたのは1800年代初めの様です。

私の実家で一番古い戒名先祖が宝暦3年12月(1753年)だったのでその頃・・
(一般の日本人は土の間にムシロの生活だったと思います)
それでもヘルシンキは100万人以上が住むまち


光を求める開口とガラス張りのテラス空間を持つ集合住宅が多くみられた。

イタリアのルネッサンス期歴史ある重く影のある街並みと比べ
圧倒され圧迫されプレッシャーに潰されそうな場所とは異なっている(自分の思い込み・・)

コンクリート(プレキャスト)集合住宅の工事中の現場があったり混構造の(木造と石造)が多く様式に捉われることなく街が自由に形成され
しかし見苦しいものが何もない・・住民と行政の美意識の高さが感じられます。

岩盤がそのまま表わしで土台として使われた公園や建築も多くみられ地震とは無縁の国の自由さを楽しみました。

海も近く海軍の要塞「スオルミンア」もフェリーで20分ほどで行く事が出来ます。
日本より気温は10℃ほど低いと聞いていたので長袖を着て行きました。
しかし以外と暑く汗ばむほどの陽気・・・町を歩くのにはもってこいです!


木造フレームを使ってEXHIBITIONが開催されている。
デザイン美術館前の広場
船着き場
水が近く災害は大丈夫なのか?と聞いて見たところやはりヘルシンキ中央駅は2日前に水没し漸く復旧したところだそうです。

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