長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所
ブログ
BLOG
Iターン、Uターンそして移住して数年経過後に生活をしながら土地を探す方それぞれです。
場所は軽井沢、松本市、安曇野市から
最近になり茅野市、原村が多く
STUDIOAULAでは別荘ではなく定住する意思で
デザイン関係という施主さんが
増えております。
そのプロセスで創る方法や手法は違いますが
向かう姿勢で学ぶことが多く
良い刺激となっています。
都会では郊外の大きな団地の建て替えや大型マンションの世代交代が社会問題化していますが
地方では別荘や空き家問題と移住者の増加と40年前親の世代の頃に建てられた別荘地をリノベや建て替えなどに
うまく絡んでいけば畑や雑種地を新規造成するよりも
インフラや土地の更新に繋がり良さそうに感じますが
それほど合致していない様で土地探しに苦労する方が多く見受けられます。
そのプロセスでどんな土地が良いか?
インフラの問題とお金の関係
高低差の解消か活用か
など建築と共に考えなければ選択が難しい土地も多く
土地探し(不動産見極め)と資金計画(ファイナンシャルプランナーと共に)
の時間を共にし数年計画で建築計画へと進んで行きます。


田んぼの穂が成長し緑の青さが鮮やかなピクチャーウィンドウからの風景
既存宅地
大きな造成をされず
そのままの形の土地でした。
土地を探す場合、分譲地よりも既存宅地か変形地がお奨めです。
利便性とその他のバランス大切です。
私達が住んでいるのが真四角の分譲地ですが
昨年、利便性を向上させるために市議会議員が要望を出し
前の県道交差点及び道路を少しだけ拡張してくださったので
トラックの往来が明らかに増えて体感で2倍。
塩尻は歴史的に見ても交通の要所ですが
郷原街道の前庭が特徴だった昭和40年代より既に車の往来を優先し
居住環境が劣化という循環に。
何とか落ち着ける場所をという自邸計画はもはや3年経過してしまいました。
今秋こそは!と考えています。

お盆休み前に現場を巡回した際の写真
松本市の現場
木工事中です。
久しぶりにゆっくりとした時間を過ごし
これからまた年末へ向けてエネルギーを充電できました。

寺町からのファサード

金沢中心部は浅野川と犀川のふたつの川と三つの丘陵地が特徴で
そのひとつ寺町と犀川の間の丘陵地に建つ建築館
建築家 谷口吉郎の生家の土地に建つ建築と都市のための小さなミュージアム
藩政期建築、近代建築、現代建築まで金沢は「建築の町」と自伝に記されているように
奥深いそして美しい場所でした。
建築は
丘陵地に階段と通路を設け犀川へ
この通りを繋いだこと
閉ざされていた場所に風景を繋ぐこと
かつて犀川添いに住み寺町との間の隔壁の様な丘陵地を自転車で行ったり来たりした自分にとって
まず物語と映像を描く建築の在り方
そしてこの場所性が建築に寄って開かれて行く意味を感じることができました。
暮らしたのは1993年~1997年(イタリア留学を挟み)1999年~2002年
金沢城跡地から金沢大学が移転し橋爪橋と橋爪門など五十間長屋と整備がはじめられた頃
特にイタリアから帰った3年間は犀川を眺められる
犀星通りのハイツに暮らし
犀川の流れを楽しみ慈しむ芸術と座禅と建築にのめり込み図書館に通う
抒情詩を描く様な暮らしでした。
生まれ育った奈良井川の音と
犀川の傍に暮らす日常を重ねて
朝目覚めた時には全てが初めから生きることを
許されたかのように錯覚してしまうほど。
生きることや日々の暮らしや仕事の悩みに翻弄され
この場所性、豊かさや建築に充分に浸るまで金沢を知ることもせず
ひたすら本と妄想の中で若き悩みを抱いて。
それでも
今回の訪問で近くにあった優れた建築と文化が
間違いなく自分の一部であると感じとれました。

楽しみにしていた施主さん 作家さんが頑張っている美須々の杜のモール
また合言葉のように
行きますか?
行きますよね?
楽しみですね!と最近多くの施主の会話に登場した松本の美須々の杜のモール
朝は台風の影響で雨
心配してましたが途中で上がって丁度良い気候
買い物をしたりおしゃべりしたり子供たちの笑顔に出会い
食べて飲んで帰宅

夕方までゆっくり過ごしお寺とお墓参りへ出向きました。
こんな日常の繋がりと幸せを味わえるのも先祖や親のお陰と
感謝の気持ちをお伝えしてきました。
今年は実家ではなく
このSTUDIOの小さなお厨子の中に先祖の魂に来てもらい
私達なりのお盆をお迎えしました。
お厨子前には小さな猫の線香立てがあります。
